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私の生い立ちと病気の経過



1960年、神奈川県小田原市に2人兄妹の長男として生まれる。小学校時代は、内向的で、担任の影響から、胃潰瘍になるほど神経質な性格だった。
神奈川県立某高校に入学、地学部に在籍し、天体観測にいそしむ。また、国語の教科書のエッセイがきっかけとなり、イギリス・フランス・ロシア文学に傾倒する。現役受験に失敗し、横浜YMCA予備校に通う。

一浪後、明治大学工学部建築学科に入学、サークルは、建築意匠部に属し、建築家を志す。
同時期、横浜YMCAに、中学校・高校成果の指導助手としてアルバイトする。
このとき、日本YMCA同盟のアジアスタディーツアーに参加し、インド・タイ・ビルマ・バングラディシュを旅行する。訪問内容は、各国YMCAの活動を視察することだった。インドでは、マザーテレサの修道院を訪問する。また、大和YMCAのキャンプリーダーとして、夏休みの小学生を対象としたキャンプに参加する。それが縁で、初めて女性とつきあう。

卒業後の進路で、教職に進むか迷ったが、(といっても教職課程は何も単位は取っていなかった)まずは、専攻した建築を志すつもりで、建築内装業では、トップシェアの会社に就職する。
当時、バブルの始まりだったこともあり、売り上げは、毎年前年度比を大きく上回り、多忙な毎日を送る。多忙さ故に、付き合っていた女性から、別れを告げられる。結婚も意識していたので、かなり落ち込む。また、仕事の多忙が原因で、無断欠勤して放浪したり、夜中に不安を感じた落ち着きのない行動をとるようになる。その時初めて単身で、精神病院の門をくぐるが、「単なる過労でしょう」と診断される。その後も、無理をおして仕事を続けるが、統一教会に入りかけたりして、精神的に不安定の状態が続く。

その後、仕事が縁で、東京都杉並区に、25歳で所帯を持ち、28歳の時、長女を授かる。30歳の時、マイホームを購入し、34歳の時次女を授かる。

しかし、ある現場で、通勤に伴う吐き気や体の震えを我慢して勤務を続けた結果、パニック状態になり、会社の総務課長に付き添われ、神経科クリニックの門をくぐる。そこでも、「1~2週間程度で治るでしょう」との診断を受ける。数日間休暇を取った後復職するが、病状は改善せず、より不安感が強くなり、対人恐怖症を伴い、電話も取れなくなる。その医者への不信感から、自宅近くのクリニックに受診したところ、「勤務はもちろん、しばらくは完全休養が必要」との診断を受ける。初めて、抑うつ状態と診断される。このことから、会社に休暇を申し出て、有給休暇を取る。寝たきりの状態が続き、行動療法で、復調してくる。このころ、転職を思い立ち、大学時代の経験を思い出し、小学校の教師を目指そうと思う。玉川大学の通信教育で、教職課程を学び、目標が明確になったことにより、病状も改善し、薬も不要になるほど全快する。

35歳の時、免許取得見込みで、北海道の小学校教員採用試験を受験、採用される。2年少しの勤務ブランクであったが、教員としての第一歩を釧路で迎える。それで、うつとは無縁と思っていたが、教員になって2年2ヶ月後、父の死をきっかけに再発し3ヶ月の休暇を取る。そのあと1年間、勤務するが、再度再発、1年間の休職を取る。離人症などの症状にも苦しめられる。

その後、教務主任になり、完璧を求めた結果、躁状態になり、睡眠を取らなくても平気になったり、過剰な買い物をクレジットで買ったりする。そのとき2台の新車を購入したりする。
しかし、2年後再々発をし、またもや3ヶ月の休職を取ったが、復職後1週間で再発し、1年間の2度目の休職を申し出る。それから半年以上寝たきりの生活が続き、復職審査の時期が近づくにつれ、不安が強くなり、この状態では復職は無理だと思い詰め、初めて自殺念慮を起こし、ODなど自殺行動に出るようになる。最終的に、自分では死ねないと思い、妻に自殺ほう助を求めるようになり、家庭崩壊の危機を迎える。妻は、自分一人で私と関わることの限界を感じ、妻の母親と私の母親を呼び集め、「退職、引っ越し」を決意し、私と母だけ北海道を後にする。

北海道を後にした私と母は、すぐに実家近くの精神病院に医療保護入院することになる。3ヶ月を閉鎖病棟で過ごした後、退院することになる。退院間近になってから、精神科デイケアに体験入所し、退院後本格的な通所となり週3日程度通うようになる。

一方、私が北海道を後にしたすぐ、妻と子ども達は、妻の実家に帰り、1年半、時折電話連絡は取るが会うこともなく、思いがけず、義父の病死に伴って、再会を果たす。それがきっかけとなり、連絡も頻繁となり、現在は別居してから丸7年が経ち、徐々に信頼関係を戻しつつあった。

退院3年後、外来のドクターが変わり、それに伴って治療方針も変わり、就労も可能ということとなり、アルバイトをするようになる。最初は、郵便配達だったが、1ヶ月半で退職。2度目の厨房の職場も1ヶ月と20日で退職し、無職の身であったが、一昨年10月IT関係の特例子会社にトライアル雇用として、雇用される。

トライアル雇用3ヶ月の後、嘱託社員として採用される。半年のデータ入力作業の後、社内のコンピュータ環境を整備する部門に配属になり、充実した日々を送るが、上司のハードすぎる労働環境により、休職するが、躁状態がひどくなり、カードの乱用や新車購入に走る。後に、抑うつ状態の代わりに腰や背骨に激痛が走り、整形外科を始めいろいろな医療機関を訪ねたが治らず。最後に、東洋医学の鍼灸院にかかり、半年による治療の結果復職を果たす。ところが、通勤2ヶ月で痛みがぶりかえし寝たきりとなり、再度の休職となる。

半年以上、自宅療養を続けたが、今度は抑うつ状態になり、自殺念虜も出始めて、3ヶ月の入院生活を送り、入院中に休職期間の長さから、会社から正式に解雇される。

mixiのコミュが縁で2011年11月再婚する。2度めの結婚ということもあり、家事等の協力は惜しまなかったが、彼女と、私の子どもたちへの愛情の嫉妬から意見が合わなくなり、2013年7月協議離婚する。

現在は実家に戻り、母との静かな生活を送っている。



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by Aidan1 | 2005-12-29 23:15 | プロフィール